――― Marky on the WEB

2003/8/2
14才の頃

フジ・ロック・フェスティバルに参加した。とてもよいイベントだった。フジロックについてはまた別に語るとして、当日パンフレットを読み返すとハイロウズというバンドがメッセージを発していた。「14才にもどしてやる!」とかなんとか。

僕も14才のころ、ハイロウズを結成するまえのヒロトがやっていたザ・ブルーハーツを聞いていた。とてもいいバンドだった。

「おまえらを14才にもどしてやる!」
いいメッセージだなぁと思って、14才を振り返ってみた。

僕は14才のころ、「論語」を読んでいた。あの中国の古典が、僕のこころをとらえて離さなかった。孔子が説く「道」や「信」や「仁」ということが、学校で学んでいること以上に大切なことだと思った。そこには、人と人との接し方や、社会の仕組み、国の統べ方の基本が書いてあった。たぶん100回以上読んだと思う。そこから孟子、荘子、老子、韓非子と思想家を追いかけていく。
同時期に仏典も読んでいた。確か法華教のものだったと思う。右ページが日本語で、左ページが英語という和英両方がのっているやつだった。英語の勉強がてら、夕食後によく読んでいたのを記憶している。今思えば、涅槃とか、衆生とかいったことばを、どうやって英語で表現していたのか思い出せないくらいだ。しかし、そこには人の生きる道や、のがれられない苦しみや、布きれ一枚を大切につかう話や、真の道について、ブッダが説く世界が広がっていた。純粋にものがたりとしても面白いので、ぜひみなさんにもご一読をすすめたい。
この2冊はとても僕にとっては大切な教育書だ。

14才のころ得たものは他にもある。
たしか、父親の影響で本格的にコンピューターをいじりはじめたのもこのころだったと思う。まずは「信長の野望」というゲームにはまり、つぎにブラインドタッチを覚え、コンピューター・プログラミングを学ぶ塾(SE養成講座の初期のようなもの)に大人にまじって通いはじめた。当時、大学生ぐらいの年でMS-DOSというWindowsの前のシステムをつくりあげたビル・ゲイツに「こんなすげえシステム作れるやつがいるんだ!」と驚嘆し、同時にライバル心を燃やしたのを記憶している。

父親はコンピューターを初期の頃から注目していた人で、先見の明があるといっていい。いまでこそ、「コンピューターと英語はできてあたりまえ」という時代だが、当時それをみこんで14才の僕に教育をほどこしてくれたというのは大きい。
おかげで僕はコンピューターの気持がわかる人になった。不思議なことだが、コンピューターの画面が黒い時代からつきあっていると、コンピューターの気持がわかるのである。いまのカラフルなコンピューター画面をみても、これが細かな命令文ひとつひとつの積み重ねだという認識がのこっているので、コンピューターの調子が悪いときには、「どこにバグがあるんだろう」とか、「きっと人間サイドが無理な要求をしているんだろう」とか思って心配になってしまうほどだ。

14才のときにもっともよく読んでいた雑誌は「ダイヤモンド」だった。
父親が一橋の商学部卒業だったせいか、林業・製材業の社長をやっていたためか、このエグゼクティブ向け経営雑誌をずーっと購読していた。家のトイレは、父親の読書室もかねていて、トイレに「ダイヤモンド」が積まれているというわけだ。僕もトイレに入ると自然と手に取るようになった。読んでもほとんどわからないのだが、特集の内容や記事によってはわかる。今も特集している「使える大学ランキング」とか、「ベスト・ホテル特集」とか、「来年の大予測」とかは中学生が読んでもよくわかった。また、今は死んでしまった相田みつをさんの連載もあったので、自然と彼の言葉が記憶に残っていて、いまもよく「つまづいたって、いいじゃないか、人間だもの」とかって口ずさんだりしている。また、永田町の裏側を徹底取材して書いているページが好きで、そこで日本の政治について多少詳しくなった。本の紹介のページは欠かさず読んでいた。そのなかで出会った一冊が、僕の人生を変えていった。「地球を守る簡単な50の方法」という本だ。この本を読んでから、僕は環境問題の解決を自分のテーマにしようと心にきめたのだ。

14才のころ、我が家は、新聞は朝刊で3紙、夕刊で地方紙2紙をとっていた。
読売新聞と、日本経済新聞と、日経産業新聞をすべて読んでいると、一日の半分が終わってしまうんじゃないかという分量だった。だから時々しかよまなかったけれど、よんで一番面白かったのが日経産業新聞だったと思う。なにぶん商品に関する情報が早い。開発中の新商品の紹介が日経産業に出て、1ヶ月後に、実際に商品が発売されて日経に出て、その数日後に読売でみかけるということもままあった。日経産業新聞には開発コストがどれくらいで、どういう意図があるのかを書いていたし、日経には、それがいくらで、どういう企業戦略やポジショニングで発売されているのかが書いてあった。それに比べると読売新聞では純粋に商品の紹介がなされていて、その裏にある意図や社会的位置づけなどが書かれていなかった。同時に3紙読むことで、情報には裏と表があるということを学んだ。

僕が14才の頃を思い浮かべると、今の自分が形成される土台がよく見える。よく「若いのに年寄り臭いねぇ」と言われるが、その由縁もよくわかる。 みなさんは14才のころ、どんな暮らしをしていたろうか?