――― Marky on the WEB

2004/4/11
銭湯に行く

僕は銭湯に行くのが好きだ。

初めて一人暮らしをしたのは、風呂なしの6畳の部屋だった。
「さかり荘」というきわどいネーミングのアパート。大家さんの名前が遠藤盛さんという名前だから、この名前。なかなか強烈な大家さんで、僕はその大家さんから、多くのことを学んだものだ。酒の飲み方、つまみの出し方、海外旅行のこつ、風邪をひかない方法、健康維持の方法、タクシーの止め方、年寄りとのつきあい方、いい女の見分け方、就職活動の仕方。。。
まったくもって、ありがたい大家さんだったなぁ。話は長いけど。
もう80才にもなるころだろうけど、まだ元気だろうか? と思って、先日会いに行ったら、あいかわらず元気でした。よかった、よかった。

その大家さんの話はまた別に書くとして、今回は、銭湯の話し。

当時は、風呂なしのアパートだったので、どうしても銭湯に行かざるをえない。学生時代は、すばらしい貧乏ぐらしだったので、瓶ビールを飲むか、銭湯に行くかで随分悩んで、ビールを選んだこともあったし、夏場は大学のスポーツ棟にシャワーがあったのでそれで済ましたこともあった。

まぁそれでも、すっきり気持ちよくなりたいときは銭湯にいった。
思い出すのは、朝日湯、日の出湯、みどり湯、桃の湯などの銭湯たち。学生がたくさん住む町でもあったので、銭湯はたくさんあった(そして時代の流れに逆らえず、つぶれていった)。

東京の銭湯は熱い。
はじめのうちは、湯船のお湯があまりに熱くて体全体をつけることもできなかった。ふくらはぎだけ真っ赤にさせて、泣く泣く帰ってきたこともあった。水でうすめようとして、常連のおじいちゃんに「うすめるんじゃねぇ!」って怒られたこともあった。

ともあれ、その熱さになれてくると、銭湯は楽しい。
僕はすぐにのぼせるほうなので、長くは湯船につかれない。5分ほどつかっていると、頭がぼーっとしてくる。でも、銭湯には長くいたい。湯船からあがって、洗い場で、鏡を見ながらぼーっとする。めがねをはずしているので、ほとんど何も見えないが、ぼんやりとした自分の姿が見える。いったい自分にはどんな価値があるんだろう?と、裸の自分に問いかける。

実のところ、僕は銭湯で考え事をするのが好きだ。
一糸まとわぬ姿でじっと考える。僕は何故生まれてきて、何をしたくて、これから何処へ向かうのか。あれをしたい、これもしたいけど、本当はどっちをしたいのか?

銭湯でものを考えるのはとても気持ちのよいことだ。僕はさむがりなので、あたたかいところだと安心して考え事ができる。ぐるぐると人生を悩んで、また湯船につかって、また悩んで。サウナにはいって、水風呂にもはいって、あがるころには、すっきりとした答えを出すことができることがある。学生時代の頃は、そうやって人生を考えた。


先日、久しぶりに銭湯にいった。
あいかわらず、人生について考えた。うんうんうなって考えた。入れ墨のはいったお兄さんを横目に、ちょっとびびりながら考えた。
学生のころとちがい、おいそれと答えはでない年にはなっていたが、それは、とてもよい時間だった。

人は誰しも、「自分をみなおす空間」が必要である。僕にとっては、それが銭湯という場所だ。ある人にとっては、それは海かもしれないし、ある人にとってはそれは山だったり、川だったり、都会の雑踏だったり、近所のカフェだったり、家のトイレだったりするんだろう。

ともかく、そういう「自分をみなおす空間」を大切にしよう。
そして、人生を考えよう。

あなたにとって、「自分をみなおす空間」とはどんな空間ですか?