――― Marky on the WEB
青木将幸ファシリテーター事務所

2006/4/6
身のまわりのものを自分たちでつくる

最近、竹細工が流行っている。(といっても我が家限定の話ですが。)

マンションの庭に竹林があるので、いくらでも手に入るのをいいことに、いろいろ作ることを楽しんでいる。

僕がつくった最近の竹細工は「耳かき」。細ーく枝を割り、カッターナイフで形を整え、最後に火であぶって曲げたという小さな一品。パートナーの京ちゃんに使ってもらうと「耳が痛い」と不評だったので、もう一度先っぽを削りなおした。個人的には気に入っている作品だ。

京ちゃんがつくったのは、石けん置き。半分に割った太めの竹にのこぎりで水切り筋をいれたり、彫刻刀で石けん置き場を作り込んだりした。小学校のころに使った彫刻刀を20年近く捨てられずにいたが、ひょんなところで役にたった。文部省教育も捨てたもんではない、とふと思った。

なんといっても傑作は竹の徳利。20センチぐらいの程よい筒を斜めに切り出し、電気ドリルで酒が出てくる穴を開けたもの。シンプルで美しく、実用的だ。我が家で冷や酒を出すときは、この徳利が活躍している。本体を切り出したのは僕で、表面を美しく加工したのは京ちゃん。2人の共同作品として、我が家に誇らしげに飾ってある。

いずれも買ってくれば100円ショップや安い雑貨屋で手に入るようなもの。でも、自分たちでつくる喜びというのは、何事にもかえがたい。考え、手間をかけ、失敗をしたり、うまくいったりする。出来上がったら嬉しくなって人にもみせ(こうやってホームページにも書き込み)、褒めてもらいたくもなる。そのプロセスがなんとも面白い。

雑貨屋に行っても「この竹徳利はどうやって作ったんだろう?」と興味津々で町を歩ける。こんな喜びがあるのが、僕はうれしい。

僕が尊敬する森林文化アカデミーの高田研さんは、こういった主旨のことを教えてくれた。

「ワークショップというのは、専門家や社会システムに持っていかれた様々な知恵を、生活者の手に取り戻すプロセスだ」と。

難しい言葉で言うと「専門知と生活知を手作業で紡ぎなおす【知の縫製工房】である」そうな。詳しくは以下のWEBにあります。

http://eco.goo.ne.jp/education/eco_seminar/concept/12/themetalk_3.html
(エコのもりセミナー・WEBコンセプト会議の記録より)

なるほど、まちづくりワークショップなどでは、これまで都市計画の専門家にお任せしてきたものを、ふだん町で生活する生活者の手に取り戻すプロセスといえる。

かつて、日本人の暮らしに必要な知恵は、普通に生活する人が持っていた。

みんな、自分の燃料を集め、食器をつくり、野菜をつくり、わらじを網み、機織りをし、家を修繕したりしてきた。でも、時代は流れ、経済は発展し、最近はそれらを全部お金で買ってすますことができるようになった。とても便利な世の中だ。100円ショップで何でも手に入る。でも、なんだか物足りない。

それは、何かが作られるプロセスに「自分も一枚かんでいない」からじゃないか、と感じている。

そういった、本当に大切な暮らしの知恵を、少しずつでいいから自分たちの手に取り戻して行きたいと思うのでした。

誰か、そのへんに詳しい人がいたら、教えてください。