――― Marky on the WEB 2007/08/08 全国教育系ワークショップ・フォーラムで知り合った西村佳哲さんらとともに、「ワークショップの源流を探る読書会&体験会」をはじめています。 ここ数年、ワークショップやファシリテーションがどんどん普及してゆくなか、技術論やテクニック的なことはどんどんと開発されたり、各種分野での応用が進んでいます。その一方で、「本当に大切なこと」やこれらの分野を切り開いてきた先人たちが大切にしてきたこと、を置き去りにしていないか、という不安やとまどいのようなものが常々ありました。 そこで、一度、ワークショップやファシリテーションに関わる仲間たちとともに、膝をつけあわせて、「ワークショップの出自や源流を探ってみよう」という勉強会を始めることになりました。 従来の学び方や、話し合いの仕方、カウンセリングのあり方、演劇などの表現のあり方などに疑問を持ち、新しい提案として「参加」や「体験」、「相互作用」などがあふれるワークショップという学びと創造の場づくりに発展していったのは、いったいどういう背景や経緯、そして先人たちの思いがあったのでしょうか? 現在を生きるファシリテーターとして、そういった背景や、経緯、先人たちの思いを引き継いでゆくことが、大事なのではないかと思って、学びあいを始めています。 勉強会のスタイルも、いろいろ探ってみようということで、今回は主に輪読(一冊の本を全員で読んでから、話し合う)というスタイルをとってみることにしました。同じ本でも、読み手によって、異なる読み解き方があります。それらを同時代を生きるファシリテーターたちと共有したり、話し合ってみたかったのです。 メンバーは青木と西村さんのつながりのある方々に声をかけて10名ほど集まっていただきました。心理学、デザイン・ワークショップ、冒険教育、環境教育、まちづくりなど、さまざまな分野で活躍し、ファシリテーションやワークショップに関心をもってる仲間が集っています。第2回の全国教育系ワークショップフォーラムでゲストをつとめていただいた高田研さんにもアドバイザー的に関わっていただいています。高田さんは、日本で初めてワークショップをテーマに修士論文を書かれた方で、ワークショップの歴史年表を整理なさっています。 第1回の読書会では、お互いの自己紹介をかねて、「ワークショップと自分との関わり」などを話しつつ、めいめい「これがワークショップの源流や出自に関わる一冊ではないだろうか?」と思う本を持ち寄り、発表しあいました。 実に興味深い本のリストになりました。 ●『学校と社会』 ジョン・デューイ (1899) ○『夜と霧』 V.E.フランクル (1947) ●『脱学校の社会』 イヴァン・イリイチ (1970) ●『エンカウンターグループ 人間信頼の原点を求めて』 カール・ロジャース (1970) ●『鋼鉄のシャッター』パトリック・ライス(1973) ○『自由からの逃走』 エーリッヒ・フロム(1976) ○『よあけ』 ユリー・シュルヴィッツ (1977) ●『エンカウンター 心と心のふれあい』 國分康孝 (1981) ○『想像の共同体』 ベネディクト・アンダーソン(1983) ○『出会い相互行為の社会学』 E.ホフマン(1985) ●『ラテンアメリカの新しい伝統 「場の文化」のために』 里見実 (1990) ○『徳の起源 他人をおもいやる遺伝子』 マット・リトレー(2000) さまざまな本がありますが、これぞワークショプの出自・源流を表すメインテキスト!と思われるものを●で、「読むと参考になる視点が得られそう」というサブテキスト的なものを○で表しています。 そのなかで、まずは、どの本から読もう? という話し合いになりました。 かんかんがくがく話し合った結果、栄えある(?)一冊目に選ばれたのが、 ジョン・デューイの『学校と社会』 なぜ、この本にしたのか? その理由の1つは、入手しうる本のなかで、いちばん古そうだから(笑)、、 と同時に、高田研さんがお作りになったワークショップの歴史年表を見ても、実に多くの人がデューイの影響を受け、講義一辺倒の従来型の教育から、学習者主体の学びのあり方へと変化を紡いでいったように見えたからです。 結構分厚く、難解な予感もするこの1冊から、私たちの源流読書会は始まりました。 次の日記では、『学校と社会』を読んでみて、どう思ったか、というところを書いてみようと思います。
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