――― Marky on the WEB
青木将幸ファシリテーター事務所

2007/12/22
WSの源流を探る読書会&体験会 報告4「3本のビデオ鑑賞会」

今回(2007/11/13)の源流会(最近はこういう呼称になってきている。なんだか怖い印象もあるかもしれないけど、我々は気に入っています。^^)は、少し趣向を変えて、ビデオ鑑賞となりました。

1本目は、戦後すぐから参加型・体験型の単元学習を導入した、大村はまさんの国語の授業の収録したもの。生徒達にも身近な鉛筆の広告、絵本、4コマ漫画、人形劇などを使って、読む、書く、まとめる、話すなどの国語力を高める授業が紹介されていました。大村さんは戦争の経験を経て、民主主義の国にするためには国語力を高める必要がある、と痛感した人。

なかでも、同じ教材を二度と使わないという姿勢については、感服しました。ひとたび参加型の教育プログラムを作成すると、それを何度でも活用するのが当たり前だと思っていた僕にとって、驚きでもありました。

なぜ、同じ教材を、二度と使わないのでしょうか?

その理由は「もったいないから」。

いち教師として生徒達と常に新鮮な気持ちを持って、学ぶ場をつくりたいという大村さんのこだわりが感じられた一言でした。

「一つ上の学年は、ああだったなぁ、前のクラスは楽しかったなぁと思ってしまうのは生徒にとって失礼ですし、なによりもったいないですよ。」常に謙虚さ、その場に向かう新鮮な気持ちを失わずに教師をまっとうした大村さんの言葉はやさしくも、重い。

ややもすると、参加型の自由な学習は、学習のねらいが散漫になっていったり、学習者まかせになっていったりもしますが、大村さんの単元教育のねらいははっきりとしています。生徒達の間にも、ある種の心地よい緊張感があるのを映像からも感じられました。

すべての授業について、生徒自身がファイリングして一冊の学習結果をまとめてゆくプロセスもすばらしいものがあった。記録は重要なことだなぁと。

これぞワークショップ的授業のひとつの源流ではないかと、感じた、よい記録映像でした。

2本目は、一転してアメリカの記録映像。心理学者のカール・ロジャースが開発したエンカウンター・グループの映画だ。タイトルは『出会いへの道 −あるエンカウンターグループの記録-』。1908年のアカデミー賞(芸術・科学部門)を受賞した作品です。

エンカウンターグループをご存じだろうか? 10人前後の参加者とファシリテーター(進行役、促進役)が、ただ円形になって座り、自由に語らいあう、というシンプルなセッションだ。もともとはカウンセリングの延長で、グループでのカウンセリング手法として開発されたものだが、のちに参加者層を広げ、カウンセラー養成や、各種の課題解決のためにも応用されていった奥の深い手法だ。

この映像には、16時間のエンカウンター・グループが、47分間という短い時間のなかに編集され、織り込まれていた。

まったく初めて出会うアメリカ人の男女が、お互いに、そしれ自分自身に出会ってゆく。はじめは居心地悪そうに自己紹介のようなことをしていくが、互いに影響しあい、マスク(表面的にかぶっている自分の態度のようなもの)について語り合い、本当に自分が欲していること、気になっていることなどに向かってゆく。「ネコが好きなんです」という女性が「実は夫にもっと愛されたいと感じていること」に気づいていったり、「僕は友だちなんかいらない。人と近づきたくない」といった男性が、涙を流して他の参加者を身近に感じていったりしていた。

随所随所で、カール・ロジャースが「あなたは、関心をもってもらうと安らぎを感じるのですね?」などと確認をとったり、「あなたが本当に望んでいるものは?」などと質問をしたりしていた。

参加者自身が考えること、感じることを邪魔することなく、参加者のそばにいる感じで、優しい人だなと思った。時に一参加者として、自分自身の体験や感情を語り、涙していた。

僕が想像していた以上に、よりつっこんで問いかけたり、参加者の発言を言い換えたり、果敢に場に関わっていたように思う。

僕はこれまでに東京で2日間、穂高で5日間のエンカウンター・グループを体験している。僕が参加したグループは、参加者は全員日本人だったが、30年以上前に、アメリカ人が参加したエンカウンター・グループでも同じようなことが語られていたのが不思議だった。プログラムもテーマもなく、ただ、向き合うという場では、やはり、自分自身のあり方や、その場に対する態度、他者と接する姿勢などの部分にぎゅーっとフォーカスして語られてゆくのであろうか。

3本目もエンカウンター・グループの映像。タイトルは『鋼鉄のシャッター 北アイルランドとエンカウンター・グループ』。エンカウンター・グループを、実際の紛争地域に住む人たちを対象に実施し、もう紛争はやめよう!ということを訴えるために作られた記録映像です。参加者は北アイルランド・ベルファストに住む9人。4人のカトリックのアイルランド人と、4人のプロテスタントのアイルランド人、そして1人の英国軍人が参加するセッションでした。カール・ロジャースとパット・ライスがファシリテーターとして関わっています。(ただし、途中で奥さんの具合が悪くなってロジャースは中座)。

アイルランドは長らく紛争が絶えなかった地域です。1969年にIRAの過激派がテロ活動をはじめ、それに対抗するようにプロテスタントたちがUDA(アルスター防衛軍)を組織しました。お互いに銃撃戦や爆弾のしかけあいが応酬し、それぞれに家族や友人を殺された、怨みと、憎悪と、恐怖を持っていました。こういった状況のなか、4人づつの参加者が、男女・年齢・階級などを考慮して集められ、エンカウンターグループの席に座ったわけです。セッションは24時間(おそらく3日間)行われ、そのなかで、自分の家族が殺された悲しみ、自分たちの派閥のテロ活動を支援してしまう心境、英国軍への怒り、通常の楽しいことができないイライラ、平和への願いなどが語られました。24時間を1時間強にまとめたのと、編集方針もあって、見ているのが少しつらい映像でした。

僕自身が、こういう社会課題の解決のためにワークショップやファシリテーションを展開すべし、と考えていたはずなのに、なにか心をゆさぶられるものがなかったのが不思議です。むしろ、怖じ気ついてしまったのでしょうか。

この映像は、その後、アイルランドの各地で上映され、カソリックとプロテスタントの間で、何千回ものエンカウンターグループが開催されるきっかけとなったそうです。後に、両派は和解し、じょじょに平和をとりもどしてゆくことになります。1998年にはノーベル平和賞が両派の代表に授与されたほどでした。

なぜか気持ちは萎えてしまったのですが、僕自身は、ワークショップが、このように社会的課題の解決に応用されてゆくことは、とてもすばらしいことだと思います。このような仕事がしたい、と、とても刺激をうけつつ、やはり家族の死についての話を自分自身が聞いていけるのだろうかというおそれも感じた時間でした。

このような3本の映像をみて、短い時間ですが、語り合いました。

以下のような意見が印象的でした

・大村はまさんは、やっぱり別格。段が違う。一回一回の授業にかける思い、熱意、集中、時間などがすごいと思った。大村さんの授業を受けた3000人が、その後、どうなったのか追跡調査してみたいと思うぐらい、印象的であった。

・2本のエンカウンター・グループの記録映像は、違う印象があった。「出会いへの道」には、見ている自分もいち参加者としてのめりこめたのに、「鋼鉄のシャッター」には、そのようには関われなかった。あまりにも社会的背景が違いすぎるために、日本人の私たちには深くうなづいたり、共感できたりするのが困難な内容かもしれない。しかし、現地の住民のみなさんにとっては、この映像がもたらす大きな共感、深い問いかけがあるのだろうと推測できる。

・エンカウンター・グループにおいて、よく見えてくるのは不一致。自分(Person)が言っていることと、その奥にいる自分自身(Self)が本当は感じていることが、一致していないと、それが違和感をもって感じられたり、居心地が悪い感じになったりする。自分と自分自身を一致させてゆくプロセスが起きてゆくのかもしれない。

以上、言葉足らずですが、話し合ったことでした。

今回はつい熱がはいって、長文になってしまった。

次回の報告も、請う期待。