――― Marky on the WEB 2008/09/03 大学で教えるということは、どういうことなんだろう? と最近考えています。 というのも今年になって、ぽんぽんぽーんと、3つの大学から非常勤講師の話をいただいたからです。いずれもご縁の深い方、お世話になってきた方からのご紹介なので、気合いをいれてかかりたいと思っているのです。 思えば、自分自身が大学1年生のころは、「学校の授業はつまらねぇなぁ」と思ってました。田舎を出て、期待して入学した割には、学べることの狭さや、実感のなさ、教える側の熱意と技術の低さに失望して、だんだん課外活動(環境NGOでのボランティアとか)が活発になっていったように思います。大学が、大学の中だけで完結してしまっていて、社会とダイレクトにつながっていない感じがしたのが、そのつまらなさの背景にあったのかもしれません。 大学を卒業してから10年経った今、大学で教える側に立つことになって、ふと考えてみました。「よい授業」とは? どんなものだろう? そして「ダメな授業」とは? すると、以下のようなリストができました。 【青木将幸が考えた よい授業とは? ダメな授業とは?】 ●よい授業とは? ・教える側が本気で取りかかってくる ・学生にとって興味深い ・学びを妨げるものが少ない(集中して学べる) ・参加型であるが、自由度がある ・学生が発表・発信する機会がある ・自分の暮らしや社会とつながっている感がある ×ダメな授業とは? ・教師にやる気がない ・眠い ・教師の声が聞こえない ・全体像がよくわからないまま、各論を教えられる ・配布資料が整理されていない ・おとなりさんと会話もできない ・自分の暮らしや社会とのつながりが見えない ここまでのリストが自分なりの考え。 自分自身の考えをもとに、なるだけ納得のゆく、よい授業にしようと心がけました。 つい先日、北九州市立大学の法学部政策学科で「政策実践特講:ファシリテーション」という集中講義の4日間の授業を持たせていただきました。お盆の時期ということもあってか、参加者は9名。2年生がメインの受講生でした。 その授業の冒頭に、「みなさんが考える、よい授業とは? をお聞かせください」と学生自身に同じ問いかけをいたしました。 すると、、、以下のようなリストがあがってきたのです。 【大学生が考えた よい授業とは? ダメな授業とは?】 ●よい授業とは? ・質問ができる ・わかりやすい ・面白い ・ほどよい脱線、楽しい話 ・配付資料が整理されていて、あとから見直しやすい ・気持ちをこめて準備をしてきている ・実際のところ(実社会ではどうなっているか)がわかる ・ビデオなどでイメージがわく工夫がある ・理由のある遅刻や欠席を認めてくれる ・学生の様子や姿をよくみてくれている ・教室の外で挨拶したら覚えてくれていたり、会話ができる ×ダメな授業とは? ・脱線しすぎる ・教える側に熱意がない ・話すことを考えてきておらず、思いつきで話す ・一方的に話す ・声が聞こえない ・黒板の文字が読めない ・自己満足的な授業(おもしろみも伝わってこないのに、先生一人でわらったりしてる) ・シラバス(配布される授業計画)どおりにやらない ・シラバスに書いてある内容では期待をさせておいて、実際にはその内容をやらない ・教科書の購入やある種の労働作業を強制させる ・配付資料に書き込み用の空白があるが、実際には書き込めないほどの文字量を提示される ・遅刻を一切認めない ・先生の話をきいても、実際のところがわからない。イメージがわかない ・難しすぎる、ついていけない ・レポートや課題が多すぎる
と、、、なかなか興味深いものが出てきました。 いやなんとも、当事者の声はリアルです。 僕自身が学べるもの、共感できるもの、反面教師としたい姿もたくさんあり、 「ありがとう。いただいた、これらのことを大切に、授業を進めてゆこうと思います」と僕は皆に伝え、授業を始めました。 1日は大学を出て、地元の商店街の空き店舗にでかけての授業となったり、構成的なファシリテーションと非構成的なファシリテーションを比較体験する時間を持てたり、学生自身が考えたファシリテーションを相互体験する機会があったりと、ダイナミックな4日間でした。 自分なりに新しいチャレンジをすることができたり、学生と濃密な関わりを持つことができたため、僕としてはとても意義深い4日間となりました。 いただいた機会に感謝です。 残り2つの授業も頑張ってやってみます。
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