――― Marky on the WEB
青木将幸ファシリテーター事務所

2008/12/15
頭を丸めました

2009年をお迎えするにあたって、頭を丸めました。

昨日(12/14)、床屋さんに行ってばっさりやってもらいました。

床屋さんに「何ミリがいいですか?」と質問されたのですが、相場(?)がよく分からないので「あまり青々としない程度に短めで」と伝えたら、9ミリをご提案いただきました。

実際に丸めてみると「寒い時期にボウズにすると、風邪を引くから気をつけてね」という友人のアドバイスが身にしみています。室内でも充分に寒いです。

色々な方に「どうしてボウズにしたの?」と質問されるかと思うので、自分なりに理由を書いてみようと思います。

理由1,自分自身への「渇」

一番の理由は、自分自身の至らなさ、傲慢さ、未熟さを反省し、「渇」を入れたい、と思ったからです。

最近の出会いを通じ、自分は「分かったような気」になっていただけのこと、「出来ているつもり」になっていただけのことに、気づかされました。

ちょっとばかしの技を覚えたから、仕事の依頼がたくさん来ていたから、上手くやれているかのように感じていたからといって、調子に乗っていたのでしょう。いわゆる「天狗」になっていたのです。

それが時に、配慮の足らぬ言動や、不遜な態度として表れていました。

幾人の方々に不快な思いもさせたかと思います。恥ずかしい限りです。

今となっては、これは大きな「うぬぼれ」であったなぁと痛感しています。

天狗の鼻を折っていただく機会を得て、ようやく気づくことが出来ました。感謝です。

一人ひとり、一つひとつの仕事との出会いを本当の意味で大切にしなくて、なんとするのでしょう?

自分自身に本質を問いかけ、人生のひとつひとつの事柄と向き合い、力を尽くしたい。もっと精進したいと思ったときに、つい、頭を丸める気持ちになりました。

理由2,そもそも「坊さん的存在」になりたかった

理由1では、反省的な意味合いで書いていますが、ポジティブな面もあります。

それは、かねてからの「夢」というか、つきたい職業が「お坊さん」だったということ。

中学生のときに仏典に触れ、高校生のころ亡くなった祖父のお葬式でお坊さんの所作に触れ、そして最近、何人かの印象的な僧侶と出会うにつれ、お坊さんの存在が、自分の中で大きな位置を占めつつあります。

別の友人からは「あなたはお坊さんになりたいの? それとも お坊さん的存在 になりたいの?」という問いをいただき、「後者」と答えたことがあります。必ずしも今すぐにお寺に就職したいということではなく、自分自身の在り方として、かような存在でいたい、と思うのです。

「坊さん的存在」とは何でしょうか? かねてからお坊さんが果たしてきた役割は、自分の身を修め、人の悩みや苦しみを聴き、困りごとやモメゴトがあったら解決のきっかけや場を提供し、節目節目に必要な儀式を取りはからうことだったように思います(もちろん他にもあるかと思いますが)。

自分の身を修め、個人の悩みにも、社会の課題にも同時に向き合ってゆく。

そんな、存在でありたいと思っているのです。

頭を丸めることで、今一度、自分自身の立ち位置、在り方を見つめるきっかけとしたいと思ったしだいです。

以上2つが大きな理由です。

心機一転、2009年も励みたいと思います。

なじみの方々、久しぶりにお会いする方にはビックリさせてしまうかもしれませんが、今後とも、どうぞよろしくおつきあい下さい。

○追記:

パートナーの京ちゃんからは、「小さい頃の写真のまんまだ」との評価。自分の原点に触れるような気持ちにもなりました。人は本質的には変わらないのかもしれません。