――― Marky on the WEB 2010/02/17
青木将幸ファシリテーター事務所では、毎年4月〜7月を中心に、主催事業を実施しています。 定番ものとしては「会議上手になろう! ミーティングファシリテーション講座」「アイスブレイク100連発!」「ファシリテーション・グラフィックを学ぼう」など。 それに加え、青木がリスペクトするファシリテーターをお招きして「ミニ・カウンセリング」「プレイバックシアター」「自分の声を初めて聴くワークショップ」なども展開してきました。橋本久仁彦さんや、スーザン・オズボーンさんとの交流で、実に多くのことを学ぶことができました。ありがたいことです。 また、「ワークショップの卵を持ち寄るワークショップ」といったユニークな展開や、若いファシリテーターとのコラボ、政権交代を決めた衆院選前には「ワカモノの視点でマニフェストを読む会」を開催できたことも、印象深い。その都度、「今、僕の周りのヨノナカではコレが必要!」と思うことを展開してきたように思います。。 が、主催事業を始めた2002年から8年が経とうとする今、もう一度状況を整理する必要があるように思います。
当時は、 ・ファシリテーションという概念は、ほとんど知られてなかった ・会議のファシリテーションを体系的に学べる機会がほぼ無かった ・環境、国際、まちづくり、平和、福祉、芸術、教育、ビジネスなど分野を超えた学びの場も少なかった ように思います。しかしこういう概念や場こそ、必要なんじゃないかという認識で、主催事業を展開してきました。
それが今となっては、 ・ファシリテーションは、よもやビジネス、教育、組織運営などの分野では当たり前 ・会議のファシリテーションを体系的に学べる機会は格段に増えた ・分野横断で学び会える機会も増大した と見ています。
また、この間、日本ファシリテーション協会が設立され、「ワークショップ・フォーラム」や「つなぐ人フォーラム」といった分野横断の学びの場が開催され、ワールドカフェやオープン・スペース・テクノロジーといった大規模ファシリテーション・メソッドなども格段に共有が進みました。ファシリテーションに関する書籍は50冊以上も出され、かの自民党でさえワークショップやファシリテーション勉強会を開催するご時世。(隔世の感がある)。 青木将幸ファシリテーター事務所を設立したときに「日本を市民社会にするには志のあるファシリテーターが3万人は必要である」と考えていたのです。が、ファシリテーションに日々意識して触れたり、学んだり、本を読んだり、実践している人の数を合わせると、優に3万人という数を超えつつあるようにも思います。 また、ここ最近で僕も始めたtwitterやustreamといった高い双方向性によって、即時に有益な情報を共有・交換するツールが生まれ、爆発的にその利用者数を伸ばしているということは、「その場にいない人」ともつながり、「ワークショップ的」なコミュニケーションが起きやすい状況になっているようにも見えます。社会全体が「そちらの方向」に向かっているかのような感覚さえあります。 さて、かような状況で、我が青木将幸ファシリテーター事務所は、いったい何をすべきか、したいのか?人間=青木将幸として、何をすることで、世の中とコミットしたいのか、よくよく考えたいところです。 状況をどう見るかによって、何をするかが変わってきます。 今や、ファシリテーションの概念や手法は、津々浦々に伝わりつつありますが、同時に心配なこと・気になっていることもあります。そんな点から3つのキーワードを考えました。
◆1:「心」 1つは、スキルや手法は伝わりやすいが、心意気やマインド、倫理観、志といったことは伝わりにくいという点です。ダイナマイトや原子力も、その技術的なところだけが伝播して、それを扱う人間の「心」や「倫理」が伴わないと、ひどいことになります。これは、あらゆるスキルや技術について言えることですが、技術の発達と同時に、人間性や倫理観の向上も必要。よく「ファシリテーションの手法やスキルを導入すれば、人の心を操れたり、自分の優位な方向に議論を誘導できたりするんだ」と捉える人に出会うこともあり、この点は多少なりとも、危惧があります。もちろん、こういった手法を共有してきた僕自身の責任もある。 なので、青木将幸ファシリテーター事務所では、ファシリテーションのスキルの共有みならず、その心、倫理も共有・向上できる場として、主催事業を位置づけたいなぁと思います。
◆2:「個」 どうも、最近「組織のためのファシリテーション」が当たり前になりつつある。個人をいかに組織にコミットさせるか、という文脈でファシリテーションが語られ、本に書かれ、セミナーで共有化されつつあるようにも見える。 それが、間違いだ言いきれないけど、ちょっと違和感が。 心理、芸術、まちづくりなど、いくつかの分野のファシリテーションの源流をたどってゆくと、もともとは、組織やシステムに翻弄された「個」を回復するための技法がファシリテーションであったのではないか、とさえ思います。が、どこかのタイミングで組織のためのファシリテーションに転化していったようにも思います。 個人的には、「個」に立ち返ってこそ、という気がしています。 企業のため、NPOのため、行政のためのファシリテーションではなく、<生き生きと個を活かす>=<大切にする>そんな視点を忘れずにいたいです。 同時に、<青木将幸>という「個」が持っている特性や独自性、今の関心というのも、もっと出ていっていいかもなぁ、とも。自分の体の声を聴き、率直に動こうと思います。
◆3:「既にある」 「ファシリテーションとは外国の概念でしょう」と言われることは多くあります。たしかにカタカナですねぇ。ブレインストーミングやワールドカフェといった手法も大抵は海外から日本に入って来てます(日本オリジナルは、川喜田二郎さんのKJ法ぐらいか?)。 しかし、最近趣味で落語を深めたりしているのですが、日本の武道、華道、茶道、香道、能や歌舞伎いった芸事などで言われていることと、ファシリテーションにおいて根本的に重要なことは非常に重なってくるように思いつついます。 また、日本のお寺が果たしてきた役割や、集落での昔ながらの寄り合いのなど記録を見ても、まさにファシリテーション!といったシーンも見られます。社会背景は違えど、ファシリテーションの根本的に重要なことは、私たちの故郷や、習い事、生活、日本という国のなかに「既にある」のではないかとも感じています。 これら「既にある」ものに今一度着目し、現在の私たちとして学べるものを見つめ直す、そんな事業を展開できればと思います。ちなみに、2010年は、能、落語、茶道あたりから考えてみたいと思っています。 「心」、「個」、「既にある」。この3つのキーワードを胸に、企画しようと思案中。 以下は日程のみ。詳しくは後日、タイトル、内容などを決めてお知らせいたします。
2010年主催事業をやる予定の日:3/28,4/11,4/15,4/25,5/15,5/22-23,6/6,6/7/6/19-20
関心とご都合のあう機会に足を運んで下さればと思います。どうぞよろしくお願いします。 何か一緒にやりたいなぁと感じた方は、遠慮無くご連絡ください。 |