――― Marky on the WEB
青木将幸ファシリテーター事務所

2010/09/25

フォローアーシップを高めよう

 



毎年のように総理大臣が替わっている国、日本に私たちは住んでいる。小泉さんは4年ほどやったけど、その後の安倍さん、福田さん、麻生さん、政権交代して鳩山さん、菅さんと、あっという間に5人の総理がリレーした。先日の民主党代表選で、もし小沢一郎さんが勝っていたら、3ヶ月で総理を替えることになった国である。いくらなんでも、替わりすぎだ。こんなに短期間に替えたのでは、その内閣にまともな仕事ができなくても、当然じゃないだろうか。

総理大臣なんて、誰がやっても難しい仕事だと思う。本当に大変な激務で、あっちこっちの人や国の声を聞きながら、政権運営をしてゆかないといけない。アメリカがこういってきたり、中国がかみついてきたり、韓国や北朝鮮、アジア諸国との調整も大変なうえに、国内では色々と文句を言われる。

僕は、ここ数年で総理を経験した政治家が、無能だから総理を辞めたとは思っていない。いずれも優秀で、努力家で、大きなビジョンを持っている経験豊富な政治家だったと思う。それなりのリーダーシップを発揮できる余地はあったはずだ。問題はリーダーシップにあるのではなく、フォローアーシップにあるような気がする。フォローアーなくして、リーダーは存在しない。よいフォローアーシップとは、完璧な人間ではないリーダーを励まし、支え、足りないところを補い、時には耳の痛いフィードバックをしながらも、基本的には協力し、当人によき仕事をしてもらう状況をつくることだと思う。

フォローアーシップのない人は、リーダー批判が好きだ。リーダーの文句を言って、憂さを晴らしているようなところがある。あれができてない、これもできてない、彼がリーダーになったから状況が悪くなった、こんな問題がおきるのはリーダーに責任がある、などと言っている。そのリーダーがやめると「やっぱりあの人には力がなかった」とか「最近の政治家はリーダーシップがない」とか平気で言っている。足を引っ張ってその立場から落としたのは、自分自身ではなかったか?

言ってみれば、総理大臣は、この国の船長さんのようなものだと思う。この国は自分たちの乗っている日本丸という船だ。その船長さんを、「漢字の読み方が違う」とか「過去のレシートをほじくり返すとこんなおかしなことになってる」とか、男女のスキャンダルめいたことを取りざたして、その座から引きずりおとすことにあまりに熱心になっていないか。そんなことを、短期間で続けていたら、どんなことが起きるだろうか? 船長がころころ替わる船が、よき航海をできるだろうか?

私たちにできることの一つは、フォローアーシップを高めることだ。

みなさんも、もし自分がリーダーをつとめるときに、自分という人間の不完全さを指摘され続けたら、やってられないのではないでしょうか? 逆に、「このリーダーは、もちろん不完全な点もあるだろうけど、それはお互いさま。自分ができる協力をして、まずは仕事をしてもらおう」と関わってもらえたら、ありがたいではないでしょうか? 一定期間、しっかり身を入れて働いてから評価したほうがお互いのためによいように思う。

僕自身、何ができるかわからないまま、これを書いているのだけど、自分のやれることを見つけてトライしようと思います。まずは、総理にお手紙でも書こうかな。それから、「私たちのリーダーに手紙を書こう」というワークショップでも開発してみよう。皆で知恵を出し合って、いち国民からの提案を出すのだ。

アメリカでは<大統領に手紙を書く>という授業が小学校や中学校で行われるという話を聞いたことがある。「親愛なる大統領さま この国をよき方向に導かんとして、ホワイトハウスの皆さんと日々努力なさっていることに感謝します」とかいった前文から始まり、最近自分が問題に思っていること・気になっていることを問題提起し、政府が何をすべきかを提案する、という手紙を書くそうだ。もちろん、全部の手紙を大統領は読まないでスタッフが目を通すらしいが、大抵の場合、ホワイトハウスから「受け取りました、ありがとう。大統領に伝えます。みなさんの参加や意見がアメリカ合衆国をつくるのです」といった具合のお返事がくるそうな。(ほんとかな? 実際書いたことある人いたら、教えてください。僕が日本の総理に送った手紙は返事が来たことがない。)


真偽のほどは別にして、この授業、なかなか面白い。政治や組織のリーダーに対して、自分の意見を手紙できちんと届ける習慣を、日本人は再び身につけておいてもよいように思う。再び、といったのは、大河ドラマ「龍馬伝」などを見ると、江戸時代の日本でも、土佐藩主に対して下士が上申書を書くシーンが出てくるから。「そちが13年前に藩に提出した上申書を見たが、なかなかよく書けておるではないか」などと、時折、藩のリーダーが新しく変わった時に、それを見直すこともあったようです。決死の覚悟で藩に提言していた志士たちもいたのです。

僕の師匠は「誰か文句を言うヒマがあるなら、もっと良い物を自分でつくれ」というのが口癖でした。これも深く頷けるところがあります。もう一人前の大人なんだから、不平ばかりを言ってる場合ではありません。
すべてのものを、自分でつくることができない私は、せめて、文句ではなく「提案」を出せる存在でいたいと願うのでした。

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