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青木将幸ファシリテーター事務所

2011/4/27

人間万事、塞翁が馬

 

 

子どものころ、国語の教科書で「塞翁が馬」という話を読んだことを覚えています。この言葉に出会って、ガツンと頭を殴られたような衝撃を受け、以来、僕の基本的な思考に深く根ざしています。ちょっとご紹介。

「人間万事、塞翁が馬」とも呼ばれるこのお話。概略はこんな感じ。
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むかしむかし、とりで(塞)のそばに、占いの上手なおじいさん(翁)が住んでいました。あるとき、その翁の大切な馬が、どうしたことか、北の方に逃げてしまいました。まわりの人が「お気の毒ですね」となぐさめると、その翁はこう言いました。「いやいや、これが福をもたらさないとも、限らないよ」と。
数ヶ月たったある日、逃げた馬が、とてもいい馬を連れて帰ってきました。まわりの人が「おめでとう!」とお祝いの言葉を伝えたところ、翁は、こう言いました。「いやいや、これが災いを引き起こさないとも、限らないよ」と。
やがて、翁の家には、よい馬が増え、翁の息子は乗馬を好むようになりました。ある日、その息子が落馬して、太ももの骨を折りました。まわりの人がお見舞いの言葉を伝えると、「いやいや、これが福をもたらさないとも、限らないよ」といったのです。
じきに、戦争になって、大人の男性はみな、戦争にいかなければならなくなりました。近所に住んでいた10人の男性のうち、9人までが死んでしまったのです。翁の息子は、足が不自由だったので、戦争にかり出されずにすみ、父子ともに生きながらえることができました。

________________「淮南子・人間訓」より 

この逸話から、幸不幸は簡単には予測ができないことを「塞翁が馬」と言うようになったとのこと。

僕がこの話を好きなのは、一見、不運に思える時にも、希望を捨てずに生きてよいんだという視点をくれたからです。
身近な家族が病気になったり、震災でひどい目にあったり、原発の事故が不安な日々が続くと、どうしても心がふさぎます。何をやってもだめなんじゃないかとか、この世は終わりだといって嘆きたい気もします。でも、この言葉を思い出しては、希望を見いだすように心がけています。「いやいや、これが福をもたらさないとも、限らないよ」と。こういう状況だからこそ、つむげる何かがあるかもしれない。こういう状況だからこそ、得られる何かや、気づける何かがあるかもしれない、と。

同時に、この話は、一見、幸せに思えるような日々にも、うかれてばかりいていいのかな? という視点も提供してくれます「日々、肉を食い、酒を飲み、便利なパソコンや家電・電気をじゃんじゃん使っているけれど、本当に、それでいいのかな? そこで失っているものは何かな?」という視点(耳が痛い)、「身近な家族の苦労や苦しみも知らず、そっちのけで、自分の好きなことをいていいのか?」という視点(もっと耳が痛い)を、提供してくれているようにも 。

いやはや、なんとも。人間万事、塞翁が馬であります。運不運に一喜一憂しつつも、様々な出来事を、あるがままに受け入れて、前に進んでゆこうと思う日々です。