――― Marky on the WEB 2011/4/27
子どものころ、国語の教科書で「塞翁が馬」という話を読んだことを覚えています。この言葉に出会って、ガツンと頭を殴られたような衝撃を受け、以来、僕の基本的な思考に深く根ざしています。ちょっとご紹介。 「人間万事、塞翁が馬」とも呼ばれるこのお話。概略はこんな感じ。 むかしむかし、とりで(塞)のそばに、占いの上手なおじいさん(翁)が住んでいました。あるとき、その翁の大切な馬が、どうしたことか、北の方に逃げてしまいました。まわりの人が「お気の毒ですね」となぐさめると、その翁はこう言いました。「いやいや、これが福をもたらさないとも、限らないよ」と。 ________________「淮南子・人間訓」より この逸話から、幸不幸は簡単には予測ができないことを「塞翁が馬」と言うようになったとのこと。 僕がこの話を好きなのは、一見、不運に思える時にも、希望を捨てずに生きてよいんだという視点をくれたからです。 同時に、この話は、一見、幸せに思えるような日々にも、うかれてばかりいていいのかな? という視点も提供してくれます「日々、肉を食い、酒を飲み、便利なパソコンや家電・電気をじゃんじゃん使っているけれど、本当に、それでいいのかな? そこで失っているものは何かな?」という視点(耳が痛い)、「身近な家族の苦労や苦しみも知らず、そっちのけで、自分の好きなことをいていいのか?」という視点(もっと耳が痛い)を、提供してくれているようにも
。 いやはや、なんとも。人間万事、塞翁が馬であります。運不運に一喜一憂しつつも、様々な出来事を、あるがままに受け入れて、前に進んでゆこうと思う日々です。
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