――― Marky on the WEB 2013/2/21
今日は僕の37才の誕生日です。 僕のパートナーの京に教わった言葉に「誕生日ってのは、<おめでとう>の日だけど、<生んでくれてありがとう>の日でもあるんだよね」というのがあります。皆さんが、おめでとう、おめでとうって言ってくれるのは、ありがたいし、そうなんだけど、実は、当の本人からご両親や周りの方などに「私を生んで、育ててくれてありがとう」って感謝を伝えてもいいんじゃないかな、っていう考え方。僕は、これが大好きです。 僕を生んでくれたお母さん、ありがとう。すでに他界してしまって、直接は言葉をかけられないけど、心からメッセージを送ります。(あ、まだ生きているほうの、親父にも電話しておこうっと)。 というわけで、僕は37才になりました。ここまで生きてくることができたのは、両親や家族のおかげさまです。地域のみなさんや、日本中、世界中にいる、仲間たちのおかげだと思います。ありがとうございます。せっかく頂いた命を大切に、全うさせることを誓います。 37才という年齢で思うのは「人生の午後」という話です。これは、もともと心理学者のユングという人が、40才前後の年齢を「人生の正午」ととらえ、「人間は成人したら終わり、じゃなくて、その先があるよね」っていうモデルを示したもの。ちょうど40才前後に、その時期がきて、人生でみまわれたことのないような危機にであい、自身を見つめ直す機会を得て、後半に入るらしいです(詳しいことは知らない)。どうやら、人生の前半は、周りの環境(外面)に自分をどう合わせ、適合させ、成長させてゆくか?ということを考え、後半は、「では、自分自身とは何か?」という内面に向かってゆく時期、とも聞きました。 早熟、早熟と言われてきた僕も、まさにこの時期にあって、色々とありました。この37才という数字は、僕の中で、明らかな「午後」を指しています。すでに南中を過ぎ、太陽は傾きはじめています。目には病をかかえ、歯はすり減り、体力は落ちつつあります。新しいものを取り入れるスピードが落ち、記憶力も落ちている自覚もある。「37才なんて、まだまだ若い、若い」と言われることは多いですが、変化に敏感な自分としては、すでに下り坂に足を踏み入れているという感覚があるのです。 「人生の午後をどう愉しむか?」というが、最近の僕のテーマです。午前とは違う時間が午後には流れます。夏休みでも、サッカーでもそうだと思うのですが、前半戦と後半戦では、戦い方が違うはずです。前半戦を終えて、ピッチの状態もつかみ、自分達のチームの修正すべき点も見え、相手方やスタンドの様子も感じるところがあるわけです。もしかしたら足がつりかけているかもしれません。たまった疲労や、過去におかしたミスの悔しさや、「あそこを抜けたらなんとかいけそう」という予感もあるでしょう。ハーフタイムで何を修正すべきかを自覚し、残り時間を意識して、悔いのないようにゲームを愉しみたいところです。 先ほど早起きした妻と話をしていて、ふと出てきた言葉は「後半になっても、走れる選手は偉大だよね」という言葉です。サッカー選手でいうところのゴンや、長友は、後半になっても、びんびんに走りまくっています。後半だからといって、ぺてぺてと歩いたり、リードしているからといって「流す」という雰囲気は、まるでないように感じるのです(この見立てが正しいかどうかは、わからない。僕はサッカーの素人だから詳しくはわからないけど、この2人の選手は、心から尊敬しています)。さて、僕は後半戦をどのように戦えるのでしょうか。ゴンや長友のようにはいかないかもしれないけれど、僕なりに、いいプレーをしたいところです。 僕の人生は午後に入りつつありますが、日本の経済や、世界経済、あるいは、人類の発展も午後に入っているんじゃないか、という認識をもっています。もはや午前中のような「発展、成長、がむしゃらな進歩」を追い求める時期ではないように思うのです。地球の資源は限られていて、それらを大切に使うことが必要になってきます。午前中に破壊した、様々な自然や、戦争の爪痕から、しっかりと学ばないといけない。地域を見れば、人口は減少し、いくつかの行事やシステムは維持することもままならない現状もある。夢を追い求めて科学技術をむやみに発展させるだけではなく、与えられた環境のなかで、謙虚に、賢く生きる必要があるように思います。いつまでも午前中のような遊び方をしている時期ではなく、午後の愉しみを味わってもよい時期に、私たちはきているのかもしれません。 午後は、ゆっくりとした時間が流れます。その気になれば、美しい夕陽をじっくりと眺めることもできます。夜には月や星が私たちの心に語りかけてくるものも、あるでしょう。 僕は午後を、決してネガティブにはとらえていなくて、午前中より味わい深い時間になる、という予感もあると考えております。僕は僕で、よき午後が迎えられるように、動いてみようと思います。みなさまも、よき人生をお楽しみ下さい。
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